たとえば、こんな場面を考えてみてください(架空の話です)。

長年見積りを作ってきた事務のベテランが、「来月で辞めます」と言いました。社長は、引き継ぎの資料を頼みます。1週間後に出てきたのは、見積の表のひな形と、操作の順番を書いたメモでした。

けれど、いちばん大事なところが書かれていません。「この取引先には、この単価で出す」「この仕事は、材料の値動きを見て、少し上乗せする」。毎回、その人が頭の中で決めていた判断です。表にも、メモにも、残っていませんでした。

この記事は、中小企業の経営者の方に向けて、ベテラン社員が1人辞めたときに止まる業務を、辞める前に見つけて、その人の頭の中から外に出しておく手順を書いた記事です。1人の退職で止まるのは、仕事そのものより、その人しか知らない判断と手順だ、と私たちは考えています。

目次

1人の退職で止まるのは、仕事より「その人しか知らない判断と手順」です

1人が辞めたとき、会社の仕事が全部止まるわけではありません。止まるのは、その人にしか分からないことが入っている部分です。業務の属人化と呼ばれる状態は、私たちの見ているかぎり、次の3つの形に分かれます。

型1. 毎回同じ判断が、その人の頭の中にある。見積の単価の決め方、発注の数の決め方、取引先ごとの支払いの扱い。毎回ほとんど同じ判断なのに、その決め方は、その人の頭の中にしかありません。辞めた翌月に、見積が出せなくなります。

型2. 情報が、その人の手元のファイルにしかない。個人のパソコンのExcel、自分で作った一覧、その人宛てのメールの履歴。会社の共有の場所にないので、辞めたあとは、どこに何があるのかも分かりません。

型3. 手順が、その人の手にしか残っていない。「この取引先は、この順番で入力する」「この月だけは、先にここを確かめる」。手順書には書かれていない、体で覚えた順番と、例外の扱いです。

3つのうち、いちばん引き継ぎにくいのは型1です。型2は、探せば見つかることがあり、型3は、横で見ていれば写せることがあります。型1の判断は、本人に聞かないかぎり、外からは見えません。

背景として、人手不足を原因とする倒産のうち、従業員の退職で業務に支障をきたして倒産に至った会社は、2025年度に108件ありました(東京商工リサーチの調査。対象は、負債1,000万円以上の倒産です)。倒産にならなくても、1人の退職で業務が止まることは、どの会社にも起こりえます。止まる手前で手を打てるのは、辞める前の、いまだと私たちは考えています。

辞める前に見つける手順は、4つです

経営者の方が、1枚の紙と、1時間ほどで、最初の一巡ができる形にしています(時間は目安です)。

1. 業務を書き出す

社長ご自身が、いま会社で回っている業務を、1つずつ紙に書きます。細かくなくて大丈夫です。「見積をつくる」「発注の数を決める」「入金を確かめる」「請求書を出す」のように、動きで書きます。書き出しの進め方は、業務棚卸しの記事に書いています。

2. 「この人が明日いなかったら、止まるか」で印を付ける

書き出した業務の1つずつに、担当している人の名前と、印を付けます。印は3つです。「止まる」「少し遅れる」「ほかの人で回る」。この記事で見ていくのは、「止まる」の印が付いたものだけです。印の数が多くなくても、1つ付けば十分です。その1つが、いま見つけたい業務です。

3. 止まる業務の「判断」と「作業」を分ける

「止まる」の印が付いた業務を、2つに分けます。1つは、「この条件ならこう」と決める部分、つまり判断です。もう1つは、決まったあとに手を動かす部分、つまり作業です。作業は、手順にして書けば、ほかの人にも渡せます。辞めると止まる本体は、たいてい判断のほうです。

判断の中にも、2種類があります。毎回ほとんど同じ判断と、その人にしかできない判断です。毎回同じ判断は、言葉にして外に出せます。その人にしかできない判断は、人が持ち続けます。

4. 判断を言葉にして、外に出す

毎回同じ判断を、「この条件ならこう」の形で、一覧にします。担当の方に、勤務時間の中で時間を取って、話してもらい、横で書き取ります。書き取った一覧を、社長が○か×で確かめます。この○×の確認で、毎回同じ判断と、その人にしかできない判断が分かれます。

判断を言葉にして渡す考え方は、AIに任せられない仕事の正体の記事に書いています。表やマクロを引き継ぐときは、Excelの属人化の記事が役に立ちます。

外に出したあとは、別の人でも回る形にする

一覧ができたら、次は、別の人でも回る形にします。同じ判断は表にして、毎回の作業は手順書にします。迷うところだけ、人に聞く形にします。話してもらった内容を文書に整える作業には、AIを使うこともできます。業務マニュアルをAIで作る記事で、手順を紹介しています。AIが整えたものは、最後に、人が確かめます。確かめる場所の決め方は、人が確かめる場所の記事にあります。

日本政策金融公庫が公表している中小企業白書(2026年版)の解説資料に、石川県金沢市の部品加工会社の事例が載っています。この会社では、専務が入社した当時、図面をはじめとする膨大な情報が紙とExcelで管理され、情報が人に寄っていて、資料の転記や集計に多くの無駄が出ていました。専務は、生成AIとの対話を重ねて、自社の情報管理システムを社内で作りました。同じ資料には、月530時間ほどの労働時間の削減と、浮いた人手をもとに、受けられる注文の量を広げたことが書かれています。専務は、まず経営トップ自身が学ぶ姿勢が大切だと話しているそうです(出典:日本政策金融公庫「2026年版中小企業白書のポイント」、2026年7月)。

こんな会社で、こう使える

  • ベテラン1人に寄っている仕事がある会社なら、今週、その仕事を1つ選んで、判断を書き出す。「この条件ならこう」の形で、いくつか書き出してみてください。書き出せない所が、いま止まる所です。
  • すでに辞めると決まった人がいる会社なら、まず、その人が毎週・毎月行っている業務を、本人と一緒に書き出す。勤務時間の中で、最初の1回だけでも時間を取ります。
  • 社長ご自身にしか決められない仕事がある会社なら、同じ手順を、社長の仕事に使ってみる。社長が休んだときにも、同じことが起きます。

業務の整理では解けないことも、あります

ここまでの手順で解けるのは、1人に寄っている判断や手順の問題です。ほかのことは解けません。

  • 価格に転嫁できないこと。賃上げが重くなっている会社の問題は、業務を整理しても、価格の問題としては残ります。浮いた時間は、賃上げの原資の一部にはなっても、価格の代わりにはなりません。
  • 介護の報酬のような、価格が決まっている業種の上限。
  • 運転や施工のような、現場に人がいないと成り立たない仕事そのもの。事務や配車の手間は減らせても、現場の仕事は減りません。

この3つに当たる会社は、この記事の手順に加えて、別の手当てが必要です。

よくある質問

Q1. 辞める人が、引き継ぎに協力してくれない場合は、どうすればよいですか。

本人に話してもらうのが、いちばん確かな方法です。協力が得られないときは、残された表やメールの履歴、取引先とのやり取りから、判断を逆にたどることになります。表やマクロの読み解きは、Excelの属人化の記事にあります。どちらの場合も、まず「止まる」業務の判断から始めてください。

Q2. 小さな会社で、書き出す人がいません。

社長ご自身が書き出してください。業務を1つだけ選んで、その業務の判断を書き出すところから始められます。

Q3. 引き継ぎの資料は、AIで作れますか。

話した内容を文書に整えることに、AIは役に立ちます。ただし、判断の中身が合っているかは、人が確かめます。

Q4. 辞める人が出ていない今から、やる意味はありますか。

辞める人が出てからより、出る前のほうが、本人にゆっくり話してもらえます。休職や長期の休みのときにも、同じ一覧が役に立ちます。

まとめ

1人の退職で止まるのは、仕事そのものより、その人しか知らない判断と手順です。辞める前に、業務を書き出し、「止まる」ものに印を付け、判断と作業を分けて、判断を言葉にして外に出します。外に出した判断は、表や手順書、AIに渡して、別の人でも回る形にします。

業務の整理では解けないことも、あります。価格に転嫁できないこと、価格が決まっている業種の上限、現場の仕事そのもの。この手順は、1人に寄っている判断と手順に効くものです。

社長ご自身が毎週かかえている仕事を1つ選んで、そこから手を離したい方には、社長の時間を生み出すAIハンズオンのページがあります。何から手をつければよいか迷うときは、無料相談で、いまの状況をお聞かせください。次に手をつける1つを、その場でお伝えします。