「この見積、いつもどおりでお願い」。そう言えば通じる相手が、社内にはいます。ところが同じ言葉をAIに投げると、まるで違うものが返ってきます。
AIを入れたいけれど、社内に分かる人がいない——そう言って迷っている会社は多いと思います。ただ、実際に使い始めた会社でも、同じところで止まります。詰まっているのは、たいてい「AIの知識」ではありません。AIは、あなたの会社の事情を知らない——ただそれだけのことが、思っている以上に効いています。
目次
- 「分かる人がいない」の中身
- AIは、会社の事情を知らない
- 「言葉にして渡す」とは、何をすることか
- 同じことが、人にも起きています
- 言葉にしたものは、古くなります
- まず、どの仕事から書き出すか
- よくある質問
- まとめ
「分かる人がいない」の中身
では、AIを入れたあと、いちばん手が止まるのはどこでしょうか。現場の担当者だと思われがちですが、詰まりやすいのは、むしろ間に立つ人——課長やリーダーのほうです。
意外に思われるかもしれません。ただ、少し考えると腑に落ちます。課長やリーダーの仕事は、判断することだからです。この案件は受けるか、この見積はいくらにするか、この例外は認めるか。そうした判断は、長年の経験が体にしみ込んでいて、いちいち言葉にしていません。言葉にしていないものは、渡せません。だから、渡し方が分からない。
AIは、会社の事情を知らない
当社でも、自社の仕事をAIに任せようとして、何度も同じところでつまずきました。
たとえば、作業を任せると「完了しました」「保存しました」と返ってきます。ところが実際には保存されていないことがある。その報告を信じて次に進み、あとから「そもそも書き込まれていなかった」と分かる。これが何度か起きました。
「この見出しを白にして」と指示したら、白い箱の中の文字だったので、白地に白で見えなくなった、ということもあります。同じ日に、似た取り違えが何件も出ることもありました。原因は単純で、指示を出す側が、現物を開いていなかったのです。
賢い相棒を雇ったつもりが、会社のことを何も知らない優秀な新人が来た——という感覚に近いものでした。
変わったのは、頼み方を変えてからです。何を大事にして、何は譲れて、どういうときは例外にするのか。それを先に言葉にして渡してから任せると、返ってくるものが変わりました。
つまり、こういうことです。AIは会社の事情を知らないので、判断基準や前提を言葉にして渡してはじめて戦力になる。そして裏を返すと、もっと大事なことが見えてきます。
言葉にできていないものは、人にもAIにも任せられない。
「言葉にして渡す」とは、何をすることか
大げさなことではありません。渡すのは、次の3つです。
判断基準
何を良しとするか。「安いほうを選ぶ」のか「納期が読めるほうを選ぶ」のか。社内では当たり前でも、書き出すと会社ごとに違います。
前提
その仕事が置かれている事情。繁忙期はいつか、どの取引先は特別扱いなのか、過去にどんな失敗をしたのか。ここがいちばん抜けます。自分にとって当たり前すぎて、説明が要るものだと思っていないからです。
例外
「ただし、こういうときは別」。ベテランほど例外を大量に持っていて、しかもそれを説明しません。聞かれないと出てきません。
この3つを書き出す作業は、AIのための作業のように見えて、実は違います。会社が何を基準に動いているのかを、自分たちで確かめる作業です。
同じことが、人にも起きています
ここが、いちばんお伝えしたいところです。
「あの人がいないと回らない」という業務が、どの会社にもあります。属人化と呼ばれるものです。その正体も、実は同じです。その人の頭の中にしか段取りがないから、他の人に渡せない。
AIに任せられない理由と、新しく入った人に任せられない理由は、同じ形をしています。どちらも、言葉になっていない。この「一人しか分からない状態」をほどく手順は、業務マニュアルをAIで作る|属人化を終わらせる3ステップでも扱っています。
だから、判断基準を書き出す作業は、二重に効きます。AIに任せられるようになるだけでなく、人にも任せられるようになる。逆に言えば、この作業を飛ばしたまま新しい道具だけ入れても、「結局あの人しか使えない」に着地します。
これは、誰かの説明が下手だから起きるのではありません。頭の中にあるものは、そもそも目に見えない——ただそれだけのことです。見えないものは、放っておいて言葉にはなりません。
言葉にしたものは、古くなります
もうひとつ、当社が何度もつまずいたことがあります。種類の違う失敗がいくつも起きたのですが、根はほとんど同じでした。
古い記述が、現役の顔をして残っている。
期日を変えたのに、別の場所に古い期日が残っていた。「この一文は削除」と決めたのに、別のところでその一文を前提にした説明が生きていた。方針を変えて成果物を直したのに、それを作る側の設定が古いままで、また同じものが出てきた——そういうことが繰り返し起きました。
そして、ここがAIを使い始めて変わったところです。人がやっていた頃は、古い資料を見ると手が止まりました。「あれ、これ前の話じゃないか」と気づくからです。AIは止まりません。古い前提のまま、最後まで作り切ります。しかも速い。つまり、間違いが一瞬で広がるようになりました。
対処は1つに集約されました。変えたあと・消したあとに、周りを見る。変えた言葉だけでなく、変えた日付や数字でも探す。とくに、自分がその日に触ったところが盲点になります。
当社の社内ルールも、はじめに設計したものではありません。同じ失敗が起きるたびに1つずつ足して、いまは15項目あります。最後の1つが増えたのは、この記事を書いている最中でした。だから、完璧なルールを先に作ろうとしなくて大丈夫です。作れるのは、起きた失敗を1つずつ言葉にすることだけです。
まず、どの仕事から書き出すか
特別な準備は要りません。いちばん多く判断が発生している仕事を、ひとつ選ぶところからです。
見積を出す仕事なら、「どういうときに値引きを認めるか」を書き出してみる。顧客からの問い合わせに答える仕事なら、「よくある質問と、うちならこう答える」を並べてみる。口に出して録音し、あとで文字にするだけでも構いません。
箇条書きで十分です。書き出してみると、社内で意見が割れることがあります。それ自体が収穫です——これまで、暗黙のうちに別々の基準で動いていたということですから。
こうした「言葉にする」作業を、社員の手でできるようにする研修も行っています(従業員向けAI・DX研修)。外から人を連れてくるより、いま居る人が自社の言葉で書けたほうが、結局は早く回ります。
よくある質問
Q1. うちの業務は特殊なので、言葉にするのは無理では?
特殊な会社ほど、この作業の値打ちがあります。汎用のやり方が使えないということは、自社のやり方そのものが商売の中身だということです。それが誰かの頭の中にしかない状態は、会社にとって危うい。特殊だから無理なのではなく、特殊だからこそ書き出しておく意味があります。
いちばん難しいのは、頭の中にあるものを引き出すところです。当たり前になっているものほど、自分では説明が要ると思っていないので、自分だけで書き出そうとすると、いちばん大事な前提が抜け落ちます。ここは外から聞かれる形のほうが早く進みます。「なぜそう決めるんですか」「例外はありますか」と質問されて、はじめて言葉になる部分が必ずあります。その聞き出す作業は、私たちがお引き受けできます。
Q2. まず何から言葉にすればいいですか?
「その人が休むといちばん困る仕事」から選んでください。判断が多く、他の人が代われない仕事です。そこが会社のいちばん細い部分で、書き出したときの効き目もいちばん大きくなります。
Q3. AIがもっと賢くなれば、こういう作業は要らなくなるのでは?
賢さの問題ではありません。AIがどれだけ賢くなっても、あなたの会社が何を大事にしているかは、外からは分からないからです。むしろ道具が賢くなるほど、渡す中身の差がそのまま結果の差になります。この作業で得られるものは人にも使えるので、無駄にはなりません。
まとめ
AIを入れたいのに社内に分かる人がいない。その詰まりの正体は、たいてい知識ではありません。判断基準や前提が、まだ言葉になっていないことです。
任せられるかどうかを決めているのは、相手が優秀かどうかではなく、こちらが言葉にできているかどうかです。基準は、自分の側にあります。だから、AIを入れるか迷っている段階でも、いますぐ始められます。いちばん判断の多い仕事をひとつ選んで、何を基準にしているかを箇条書きにしてみる。それだけで、渡せるものと渡せないものの境目が見えてきます。
ただ、正直に申し上げると、全部は渡せません。当社にも、まだ言葉にできていないものがあります。「この件は、この人には今は言わないほうがいい」という相手との間合い。基準は満たしているのに「これは違う」と感じる、成果物の最終的な良し悪し。書けそうで、書くと嘘になる部分が残ります。
けれど、それでいいのだと思います。渡せない部分が、人がやるべき仕事として残るのですから。言葉にできたものは、人にも、AIにも任せられます。まずは1つから。
自社の場合はどこから手をつけるか、一緒に整理することもできます。30分の無料相談で、いまの状態をお聞かせください。売り込みはありません。